・・・その男達は屈強なエリートキャンパーだった。
エリート故に快適な気候下でのキャンプを求めてなどいない。
したがって、平地部が適温となる5月の連休とて、
できるだけ低温環境に挑むことを是とする猛者達である。
・・・決して、昨年からの冬季キャンプ(しかも平地)で
連戦連敗を続けた挙げ句、
冬装備を次々に買い揃えたときにはすでに5月だった・・・。
というわけでは決してないと口を揃えて主張する、
超弩級エリートキャンパー達である・・・。
メンバーは以下3組である。
■男(ドゴン3+1)
貨物量をみた後輩諸氏から英雄視ドン引きされる夫妻キャンパー。
ドゴン上部に設置したNASA製ルーフフライ
(実はただのブルーシート)がご自慢という先輩エリートキャンパー。
ドゴン上部に設置したNASA製ルーフフライ
・・・豪雨の夜が明けた。
前夜の気温は18度程度でインナー内部は長袖Tシャツ+夏用寝袋で快適であった。
見上げるまでもなく見事な曇り空である。
ときどき少雨がある。高地のためか天候が目まぐるしく変わる。
常にこれに立ち向かってゆく登山家達は正気の沙汰とは思えない。
幹が赤い松と白樺のカルテット。
結成して何十年を経た中堅感がある。
・・・オランダ アムステルダムの8月。
最高気温22度、最低気温13度、露点温度は13度(同月東京は高37/低25/露20度)。
つまり、肌寒いが屋外にいてもいわゆる汗でベタベタせず、サラサラなお肌が続くのである。さらに真冬でも日本の本州太平洋側程度の気温を維持。
・・・さぞ快適なことだろう・・・。
ユーラシア大陸西部で、有史以前から人類の闘いが絶えないわけが、我々ならば理解できるような気がする。
今回我々が試験に臨むドゴン3(+1)を製造したノマド社は、そんな環境に本拠を置くアウトドアメーカである。
9月初旬、我々が目指した地域の気温は、最高25度/最低15度/露18度。
ようやく真夏のオランダにすこし近い気候である。
・・・標高を1000m以上上げればだが・・・。
昼過ぎ、到着前に現地麓の食堂で食事である。
わずか30席程度の店内。現地のエージェント達でごった返していた。
我々の活動がリークされている可能性がある。この先注意しなければならないと直感した。
※写真は団体様退店のあと。
日蘭関係史に残る対峙の翌朝。
歴史を動かす出来事の前夜の多くがそうであったように、
昨夜の両陣営の邂逅も歴史書に残ることはないだろう。
そんな我々の儚い定めを知ってか知らずか、
日本チーム指揮官が陽気に朝食を振る舞ってくれた。
・・・日本とオランダ。
鎖国時代の我が国において、唯一取引を認めさせた西欧列強国。
第二次大戦時は、東南アジアをめぐって銃火を交えた敵国。
現代では先進的農業を推進し、我が国農業からも一目置かれる農業強国。
両国は歴史的に時には友であり多くはライバルであった。
そして2018年9月初旬。
運命のいたずらから両国の代表的なテントが、日本の山奥で直接対峙していた事実は、政治的配慮から極秘とされたという。
したがって安倍首相、マルク首相からの祝電が届かなかったことも致し方ない。
歴史を動かす出来事は常に歴史書に記録されないのだから。
前日、オランダ陣営が先着した。
2018年7月14日(土)0830に現着。同月16日(月)1000に離脱した。
約50時間に渡る作戦手記として以下を記す。
全日にわたり晴れの日中最高33度。夜間最低22℃程度。なお甲府市内は39度。
日中は無風だったため日向だと不快感強く、日陰でじっとしているとギリギリ耐えられるが快適とは言い難い感覚。夜は22時を過ぎると無風でも快適。
日中はタープによる日光対策が必須。
長野県軽井沢界隈の気候と比較すると、標高は大きく変わらないが滞在時の気温で比較すると北杜市のほうが+3から5℃程度高い模様。
やはり軽井沢に皇室の避暑地があるということはそういうことなのだと妙に納得するに至る。
1区画は決して広くない。テントがカマボコクラス(ドゴン3と同じくらい)だと、広い区画を選択しないとタープが貼れない。
地面は砂を敷きつめた様式で水はけ良く(らしい)、厚手のマット(EVA4cm級)だけ敷けばそのまま眠れる程度で快適。人的に絶妙な管理がなされている。
背中に感じるような不快サイズの石はない。ペグはプラやアルミペグでも大丈夫なくらい優しい。刺した後も割と粘る地面(そよ風すら吹かなかったので地面強度不明のまま)。
設備そのものが優れているわけではないが、後述する管理者コーツ佐藤元大佐による清掃が徹底して実施されていると思われる。
テント内の明るさから遮光率は高くないことが確認される。一方でTC幕そのものの断熱性能はまずまず体感できる。
国産テント群と比較すると、ベンチレーション機能が弱いことは以前から指摘されていた。
試験期間中、2日間とも無風だったため、日中はフロントドア、サイドドアを全開にしても、気温30度手前から幕内があきらかにサウナ化する傾向にあり、不快度高し。(35度時の内部状況は撤退したため不明。)
NOMAD DOGON3+1Airの弱点が見事に露呈したといえる。
風量に左右されるが、日中・快晴・無風の場合は外気温27-28度程度が、DOGON3+1Airテント内部の利用上限温度と思われる。
一方で、明け方のDogon3のインナーテント内は明らかに快適であった。気温23度前後と推定。
Tシャツとパンツだけで暑くなく寒くなく一度も目ざめず。しかし夏用寝袋でも入ると恐らく暑い。夏シュラフを掛け布団のように使うことで快眠。
紅茶軍曹によると明け方はひんやり。(自分は分からない)
グランドシートとして2重折した薄手のブルーシートを敷いたが、大人二名が就寝してもインナーフロア接地側が少し結露しただけで、他部分は目視と触感で結露なし。
推測だが、西欧生まれのDOGON3は、やはり外気温0(未検証)~25度あたりで、最適化した換気設計をしているのだと思われる。
真夏の日本だと標高1000mの夜間で上限ギリギリ感を強く受ける。
※写真は若干の忖度あり
おそらく60歳前後と思われるが、恐ろしいくらい引き締まった身体つきである。
設備構築、日々のメンテ、接客までを一人でこなす最前線で戦う統治者。顧客宿泊時や設備構築期間は自らもテントに泊まり込むスタイル。
20年以上前にスターウインドーを開設したらしい。
開設後実験場の全てを、自身一人でコツコツと構築、拡張(電気工事、土木工事すべて)して現在にいたる。四季を通して一体テントで何泊しているかを考えるだけで超人的である。その模様は2009/9/16(水)から開始しているブログで確認できる。
その思想傾向は質素サイト主義者。かつ、金よりも知恵を使うことを美徳とする行動哲学者でもある。タープ&ドーム型テント(むしろ蚊帳のみ)スタイルを最も機能的かつ潔く美しいと考えているらしい。
現実問題として、同地における夏季の環境を考えると、大佐のいう質素スタイルは極めて理にかなっていると思われる。実際、我々は荷物の出し入れだけで汗で溺死しかけたので、荷物を最小として設営速度を上げることは重要であった。
また、暑さの余り就寝時以外テントに入らないので、テントの背の高さは必要なく、食事などの動作はタープだけで事足りることを確認した。
結論として、あの年になっても未だ最前線にたつ偉大な大佐なのだと感じる。
・・・彼と比較すると、我軍のトラウトマン大佐も最近は・・・。
お、大佐からの指令書が来たようだ。勘だけはいまだ一線級らしいな。笑
約50時間に渡る作戦手記として以下を記す。
実験場「スターウインドー」について
気候状況
日中は無風だったため日向だと不快感強く、日陰でじっとしているとギリギリ耐えられるが快適とは言い難い感覚。夜は22時を過ぎると無風でも快適。
日中はタープによる日光対策が必須。
やはり軽井沢に皇室の避暑地があるということはそういうことなのだと妙に納得するに至る。
サイト・設備・敵性飛翔体の状況
広さなど
段々畑式で区画サイトのみ。1区画は決して広くない。テントがカマボコクラス(ドゴン3と同じくらい)だと、広い区画を選択しないとタープが貼れない。
地面は砂を敷きつめた様式で水はけ良く(らしい)、厚手のマット(EVA4cm級)だけ敷けばそのまま眠れる程度で快適。人的に絶妙な管理がなされている。
背中に感じるような不快サイズの石はない。ペグはプラやアルミペグでも大丈夫なくらい優しい。刺した後も割と粘る地面(そよ風すら吹かなかったので地面強度不明のまま)。
水回り
トイレ、シンク、シャワーはキャンプ場としては相当に強みがあると理解。設備そのものが優れているわけではないが、後述する管理者コーツ佐藤元大佐による清掃が徹底して実施されていると思われる。
敵性飛翔体
蚊が一切居ない。蜂は普通スズメバチ以下サイズをわずかながら確認。クロスズメバチをもっとも多く目撃したが大人しく危害はない。
国蝶オオムラサキは、我々の目の前をしばしば飛んでいたが撮影にはいたらず。
一方でアブ天国である。4cmクラスの大型は見掛けないが中型小型が制空権を握っていた。
アブに対して森林香や自作ハッカスプレーでは目に見える効果を確認出来ず。
なぜか自分の腕にハエがずーっとたかっていた・・。心地よいらしくなかなかどかない。なぜだ?
NOMAD DOGON3+1について
テント内の明るさから遮光率は高くないことが確認される。一方でTC幕そのものの断熱性能はまずまず体感できる。
国産テント群と比較すると、ベンチレーション機能が弱いことは以前から指摘されていた。
試験期間中、2日間とも無風だったため、日中はフロントドア、サイドドアを全開にしても、気温30度手前から幕内があきらかにサウナ化する傾向にあり、不快度高し。(35度時の内部状況は撤退したため不明。)
NOMAD DOGON3+1Airの弱点が見事に露呈したといえる。
一方で、明け方のDogon3のインナーテント内は明らかに快適であった。気温23度前後と推定。
Tシャツとパンツだけで暑くなく寒くなく一度も目ざめず。しかし夏用寝袋でも入ると恐らく暑い。夏シュラフを掛け布団のように使うことで快眠。
紅茶軍曹によると明け方はひんやり。(自分は分からない)
グランドシートとして2重折した薄手のブルーシートを敷いたが、大人二名が就寝してもインナーフロア接地側が少し結露しただけで、他部分は目視と触感で結露なし。
推測だが、西欧生まれのDOGON3は、やはり外気温0(未検証)~25度あたりで、最適化した換気設計をしているのだと思われる。
真夏の日本だと標高1000mの夜間で上限ギリギリ感を強く受ける。
コーツ・佐藤 元大佐について
※写真は若干の忖度あり
おそらく60歳前後と思われるが、恐ろしいくらい引き締まった身体つきである。
設備構築、日々のメンテ、接客までを一人でこなす最前線で戦う統治者。顧客宿泊時や設備構築期間は自らもテントに泊まり込むスタイル。
20年以上前にスターウインドーを開設したらしい。
開設後実験場の全てを、自身一人でコツコツと構築、拡張(電気工事、土木工事すべて)して現在にいたる。四季を通して一体テントで何泊しているかを考えるだけで超人的である。その模様は2009/9/16(水)から開始しているブログで確認できる。
その思想傾向は質素サイト主義者。かつ、金よりも知恵を使うことを美徳とする行動哲学者でもある。タープ&ドーム型テント(むしろ蚊帳のみ)スタイルを最も機能的かつ潔く美しいと考えているらしい。
現実問題として、同地における夏季の環境を考えると、大佐のいう質素スタイルは極めて理にかなっていると思われる。実際、我々は荷物の出し入れだけで汗で溺死しかけたので、荷物を最小として設営速度を上げることは重要であった。
また、暑さの余り就寝時以外テントに入らないので、テントの背の高さは必要なく、食事などの動作はタープだけで事足りることを確認した。
結論として、あの年になっても未だ最前線にたつ偉大な大佐なのだと感じる。
・・・彼と比較すると、我軍のトラウトマン大佐も最近は・・・。
お、大佐からの指令書が来たようだ。勘だけはいまだ一線級らしいな。笑
撤収の朝。AM06:00。
太陽の猛攻にさらされる前、早朝の空気に包まれた実験場は爽快そのものである。
今日も数時間後には灼熱に襲われるだろう。
しかし、木々が太陽に目隠しをしてくれている今、静寂と清涼で満たされたこの空間の快適さは筆舌に尽くしがたい。
・・・ともに戦火をくくり抜けたバッタ伍長は、未だDOGON3の天井部で歩哨を努めてくれている。
・・・よく見ると昨日より少しスリム体型になって見えた。徹夜の歩哨を敢行するとは見上げた心意気である。
・・・しかし、ふと見ると伍長の後方幕上に、あからさまな不審物が設置されていた。
「畜生、こいつもベトコンだったのか!?」
・・・しかし、それは我々を傷つける爆発物ではないようだ。まるで殺気が感じられないからだ。ただ、放置すると小さな何かが爆発的に増殖して飛び跳ねているビジョンが脳裏に浮かんだ。。。
・・・言葉少ない伍長がDOGON3を死守してくれていた訳を我々はようやく理解した。
(あんた女性兵士だったのね・・・)。
・・・しかし、DOGON3を伍長の大量の子孫の故郷とされても困る我々は、彼女と彼女の成果をできるだけ丁寧に草むらに移動させつつ、撤収をすすめた。
過酷な任務を終えたポリコットン幕も、今はただ静かに佇んでいる。
撤収時、目視と接触で確認できる結露はインナーテント床裏面のみで、TCフライシート自体は無事であった。グランドブルーシートはカーツ佐藤元大佐の厚意で貸与されたもので、ここには結露を確認した。
DODペンタタープには太陽の猛攻を足止めすべく殿(しんがり)をつとめてもらっている。彼はいつどんなときも冷静沈着で優秀な兵士である。ただし、今回はほぼ無風であったため退屈そうであった。・・・毎度彼が強風を手引きしているスパイでないことがわかり我々は安堵した。
愛想はないが見た目通り強靭な肉体の持ち主であった。
DAIWAスーパーライト700。いわゆる「単管パイプ」である。
・・・彼なら強風とも互角に戦える。曹長の脳裏にそんな直感が浮かんだという。
従来品から25%軽量化されたという彼を我が隊にスカウトしたい・・・。
しかし、現在の我がサンバーの外観ですら、ある日知人の結婚式に訪れた高級ホテル正面車付けで「あ、工事車両は裏口にお願いしますー」とベルボーイさんから一切の躊躇なく誘導されているのだ(実話)。礼服を着用してきた工事事業者って過去実在したというのだろうか・・・。
・・・その上さらに、彼をサンバーのルーフにとりつけてしまうと、パーフェクトな業務車両の外観がたちまちに完成するだろう。画竜に点睛するがごとしである。
つまり、現在の外観に微かに残る「レジャー用車なのかな?」という善意の推測は100%成立しなくなるのである。片田舎の農道や工事現場そばに駐車した際には、迷彩ネットなしで完全に景観へ溶け込むサンバーが容易に想像されるのである。。。。
果てしなく深く下らない葛藤の末に、我々は断腸の思いで彼をあきらめた。
AM10:00
全ての作戦行動を終えた我々は下山を開始した。
・・・空中に真実などないというのに誠にご苦労である。
入道殿もわざわざ見送りにきてくれた。
・・・目を閉じても瞼に焼き付いた空の青、雲の白、森の緑が浮かぶ。
全てが頼もしい味方であり、恐ろしい敵であった。
そのすべてを受け入れて我々は帰還する。
少しの正確な記録と、沢山のおぼろげな記憶を抱えて。
・・・謎が多いとされる「オペレーションスターウインドー」の活動最深部は、我々と物好きな読者諸君の中だけに共有された、どうでもよい大切な機密であることを確認しつつ、この非公式報告を終える。
・・・ん、結局、今回の彼の地の良いところは何だったのかだと?
その正解なき答えを求めるならば諸君自身が現地で見つけるべきだろう。
カーツ佐藤元大佐はいつでも諸君の試みに協力してくれるはずだ。
各人の武運を祈る。
-完-
ロケ(?)地:山梨県北杜市「スターウインドー」
http://www.starwindow1.com
・・・昨夜のアブ攻撃機の猛攻をしのいだ我々の翌朝。
再び太陽からの無慈悲な赤外線攻撃に備え、タープによる対空防御を固める我々である。
斜めだろうが、傾きだろうが知ったことではない。
生き残るためだけに速度最優先でタープを張ったのことは今回が初めてであった。
・・・振り向くと何故かDOGON3の赤いコードからまったく動こうとしない現地民たるバッタ氏がいた。聞くとこの場を死守するという。
我々は勇敢な彼を迷いなく現地徴用の特命伍長に任命した。
・・・このときは彼がそこにこだわる理由はさっぱり分からなかったのだが・・・。
その後、爽やかな早朝の空気はあっという間に消え去り、再び熱波が我々を襲い始めた。
昨日同様、我々は迷いなく風呂に一時撤退である。
そして、ようやく、
待ち望んだ夕暮れが近づく。
わずかに降った夕立の残滓が幕上に残っていた。
早朝に見掛けたバッタ伍長は生存しており、昼間の乾きを水滴で癒やしていた。
もはや歴戦の戦友である。
空はまだ高く、
もはや驚異的に映る夏の緑。
・・・我々が敵う相手ではないことを悟るにはそう時間はかからなかった。
・・・ようやく、木々の幹が夕日で照らされるころ。
・・・紅茶軍曹が腕を奮った高級食材達がまもなく完成するのである。
フランスのSTAUB社風
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・・・日本の最先端調理技術の結晶たる名品の数々が満載である。
さすがは紅茶軍曹である・・・。
・・・いなばのカレー缶は仲間を呼んだ。
・・・片っ端から粛清である。
・・・いうまでもなく、その味は最高クラスの軍事機密である。
SP社ホオズキ風
コールマンケロシンランタンは燃料切れで沈黙し、焚き火がぼんやりと辺りを照らす。
・・・そして焚き火も消えた頃、
・・・見なれぬ偵察機が、
仄かな光を放ちながら、我々の頭上DOGON3のポーチ天井部にその機体を休めた。
・・・なかなか大胆不敵なスパイ機である。
・・・点滅信号でおそらく何かを伝えているのだが、我々が知る様式ではなく解読不能であった。CIAに知らせた所で正しい暗号解析など期待できないことを知っている我々は、彼との遭遇を公式記録に残すことをやめた。
後ほどカーツ佐藤大佐の情報によると、彼は遠く平家の末裔らしく、稀にこの実験場を偵察に訪れているらしい。源氏への反撃開始時間を我々に知らせていたのかもしれないが、我々にそれを知るすべはなかった。
そして、見上げた上空にはさらなる怪しげな来訪者が現れていた。
このような怪しい発光体の写真に不慣れなヘカ曹長が撮影すると、当然のようにピンぼけた怪しい写真となるのである・・・。
軍曹からの冷たい視線を背中に感じつつ、就寝時間厳守を理由にそそくさと撮影を終了したのは言うまでもない。
・・・この後、我々は寒くも暑くもないテント内で快適に眠りについた。
おそらく明け方はタープ+蚊帳だけだと若干肌寒い気温にまでおちたと思われるが、メッシュドアを半開にしたDOGON3+1インナーテント内は絶妙な気温であり、タオルケットを羽織ることで朝まで熟睡することができた。
当然のようにその幸せな時間の詳細が公式記録に残ることはない。
・・・またもや寝ているのだから。
つづく
スターウインドー作戦④