煽られ煽り運転(煽られない技術)

By Nomadでオートキャンプ - 12月 11, 2018

煽り運転による脅威がテレビで盛んに報道されている。
・・・男は、冷めた目で傍観していた。
金に溺れ視聴率が欲しいだけの我が国のメディアに公正な報道など期待しなくなって久しい。そもそも民放などただの営利団体だから、真実に興味をもたず、社会変革に一石を投じることに関心を持つはずも必要もないのだ。

男は思う。
この手の煽り煽られ運転騒ぎについて、ほとんどの場合に共通する客観的事実は煽られる車は、煽る車にそのキッカケを先制して与えてしまっていることだ。


残念なことに、煽られる車のおそらく半分程度はそのキッカケに気がつけていないようだ。なので「いきなり煽られて怖かった」となる。
しかし、男から言わせれば前述のセリフは、煽ってくる車に何をしたかさえ自覚することができない運転未熟者の証にしか過ぎない。

例外を除いていきなり煽られたと感じるドライバーの多くは、本来運転免許証を付与されてはいけない哀れなドライバーなのだ。
いい替えるなら、これはドライバー個人の問題ではなく自動車免許を与えた側の過失である。
(反面、ミスの自覚が合っても被害者演技を続ける狸ドライバーも半分程度は存在すると思われる)


この不幸な現実は、運転免許証の合格基準が公道実情と乖離しすぎていることと、そもそも緩すぎることが最大の要因なのだ。

もちろん人間故に操作ミス(故意か否かを問わず、自車操作により他車(者)の機嫌を損ねる機動)はあるだろう。
最も大事なことは、他車の機嫌を損ねた事実を認知(あるいは予想)できるか否かである。とにもかくにもこれを認知できないうちは、交通量の多い場所での車の運転行為は避けるべきだし、彼(女)らは、前述した本来運転免許証を発行されるべきレベルに達していないと自覚するべきである。さもなければこれからいつまでも煽りドライバーの格好の標的である。

一方で操作ミスを認知できさえすれば、煽られ運転回避に有効と思われる策を列挙する。

  1. 速攻で詫び入れ
    1. 自車操作で他車の不快を買った自覚があるときは、ハザードを使って速攻で謝罪(あるいは感謝)の意思を表明する。これだけで煽られる危険は格段に下げられる。窓から顔と手を出すとなお効果的。
  2. 怒りの感情をクラクションや罵声で表現しない
    1. クラクションは危険事態を「事前警告」するための装置である。少なくともドライバーの怒りの感情表現につかう装置では決してない。特に危機を回避したあとに使用することに合理的な理由はない。罵声もまたしかりである。
    2. 危険を事前察知できてクラクション操作する猶予があるなら、回避機動準備に専念するほうが回避成功率を間違いなく上げられる。
  3. 不案内、不得意な道は潔い機動を
    1. 不案内・不得意な道を走行する際は、潔く路肩に寄せれる場所で停止してルートを考える。迷いながら運転は必ず地元ベテラン後続車の機嫌を損ねている。
    2. 後続車が自車よりも明らかにペースが早く、周りとペースが合わない・追いつかれる場合は、サクッと先にいかせる。道交法のたかだか1項目に過ぎない法定(制限)速度のみにこだわるより、法の上位概念である「安全かつ円滑な交通の実現」に沿った機動を徹底する。煽ることはいうまでもなく、煽られることも理念に反している可能性が高い。
    3. 交通量がある公道上にて道を間違った場合の急操作はこらえる。遠回りする割り切りを。くだらないトラブルを避ける対価として10分遅れることを容認したい。
    4. 1.2.3は誰にでも日常的に起こりうる煽られ要因である。自車のみならず相手車も鑑みることでリスクを低減する他ない。
  4. 運転・判断技術を磨き続ける
    1. 自車に近接している他車両や人に対して、何をすれば機嫌を損なうかを考える。当然、自車後方も近接対象にふくまれる。
    2. 不快基準はその地域のドライバー100人に聞いたらどうかを自問して客観性を保つ。運転未熟者あるいは競技運転者の個人基準はずれやすい。
    3. 不快を買わない挙動が実現できるよう瞬間的な判断力と自車操作技術を養う。閉鎖コースにて教習所では指導されない課題を自ら設定したトレーニングが有効(○秒以内にクランクを抜ける、車庫入れを行う)。実践的ドライビングテクニックトレーニングはJAFでも主催している。
  5. 不要不急な夜間の市街地運転は避ける
    1. 車に限らず、基本的にややこしいヤツに出くわす可能性が高まるのは深夜、人が多い地域である。

・・・もちろん前述の対策が効かないケースは存在する。
遭遇率は高くないものの煽る側が薬物影響下にあったり、精神病質的だった場合だ。
この場合は通り魔と遭遇するケースと同一であることから、前述の1-4項目で避けることは難しい。また、話し合いであっても素人では難易度が高い。さらに実際被害にあっても法的な報復を与えたり賠償を受けることも期待できないので、全力での離脱をすすめる。

前述のレアケースに備えるためにも、公道でハンドルを握る全ての人々は免許証の取得に甘んじることなく、日々運転と判断技術の向上につとめる他安寧に過ごせる道はない。
一方でこれらを面倒に感じるならば、完全自動運転が実現できる日まで自車とは決別したほうが間違いなく不意で厄介な交通トラブルを避けられるだろう。



さて、ここまでは煽られないため方策について思索をつづけてきた。
最後に、煽り運転者について触れておこう。

煽り運転者はあおられ運転者とちがって成長による変化も期待できないかもしれない。
人格として攻撃・闘争本能が発現しやすく、(当該時に)時間的余裕があるドライバーならば誰しもが煽り運転者になる可能性を持っている。
彼らは法治国家にすむ自覚に薄く、長期的かつ合理的な損得勘定が苦手で、直情的に行動する人物である。むしろ野生動物の行動原理に近い。
・・・言うまでもなく、攻撃・闘争本能の有無そのものに違法性は微塵もない。それを発揮する場所が多数派である一般ドライバーと異なるのである。

この対策は、運転免許付与あるいは更新時に精神鑑定テストを実施して、深刻な病質者をあぶり出す他ないだろう。
彼らは公道での自動車運転には不向きだが、他で活躍できるフィールドは多くあるようにも思える。さもするとビジネス世界のほうが向いているのかもしれない。
会社経営者の中ではあまり珍しくない行動パターンなのだから・・・。苦笑



とにもかくにも我々キャンパーの多くは、事に際して自動車移動の割合が多いだろう。さらに不知な道を通ることも少なからず発生するだろう。
現代日本において、煽り煽られ運転だけではなく、他者と絡む交通事故全般が最も忌むべ代表的事象であるということを改めて認識した上で、目的地までの安全な往来に最善を尽くしたいところである。

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