グルキャン発の騒音と愚行権と自己責任

By Nomadでオートキャンプ - 6月 13, 2018





※イギリスでは泥酔は16世紀に法廷罰となり酔っぱらいのマントが使用されるようになった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9A%E8%A1%8C%E6%A8%A9#/media/File:Drunkards_Cloak.jpg



・・・高校時代、歴史や公民の授業を仮眠時間くらいにしか認識できなかった聡明なワタクシ。そんな博識なワタクシは思います。



週末のキャンプ場にグループが現れて、夜遅くまで騒いだとて、(抗議してもよいが)最終的には容認すべきであると。



・・・たとえ、彼らの騒音のせいでワタクシが一晩不眠不快な夜になったとしてもです。




なぜなら、騒がしいグルキャン諸氏は人権の一要素である愚行権を行使しているに過ぎないからです。
※念の為申し上げますと、民間/公営キャンプ場の規約でいくら個人に制限をかけたところで、法構成上もっとも根源要素である「人権(後述)」を制限することは、他者に危害を加えるような違法行為がない限り、すくなくとも法解釈上では不可能です。一見同じ成文ルールですが重みが違いすぎます。



では、なぜにキャンプ場ルールよりも人権がそんなに大事なのか??
その理解のためには、(西欧の)先人たちがその獲得に大変な時間と血を割いてきた歴史の流れに目を向ける必要があります。

皆様ご存知のように、ワタクシたちが住む我が国は、曲がりなりにも民主主義国家であります。この民主主義制度は18世紀のフランス革命以降の西欧で本格的に始まりました(断片的には以前にも存在していましたが)。

この制度が誕生する以前、西欧諸国はほとんどの時代を、王族、貴族、武装集団など、いわゆる国民ではない少数の統治者による封建制度下に置かれていました。
西欧諸国の国民は、統治者の圧政に抗うために文字通り夥しい人々の血を代償として、国民が主権者となる前述の統治機構を獲得して現在に至っています。

この国民を主権者とするための闘争のなかで、その根本を支えた思想が「すべての人々には人権がある」という人権思想です。そして先人たちの飽くなき闘争のはてに、民主主義制度を標榜する国家の国民には、等しく人権が保証されることとなりました。

以上のことから「人権」というものが民主主義国家の存在意義を構成するための、もっとも根本的な原則であることはご理解頂けたと思います。幸か不幸かキャンプ場に設定されたローカルルール程度では、法解釈上ではなかなか太刀打ちできる代物ではありません。
(うまれてこのかた人権があった我々世代にはピンときませんが。苦笑)

さて、この「人権」には、いくつかの構成要素があります。中でも大きな要素の一つに「自由権」があります。これは国家から制約も強制もされず、自由に物事を考え、自由に行動できる権利のことをいいます。

そして、その自由権の構成要素の一つとしてジョン・スチュアート・ミルは『自由論』(1859年)のなかで愚行権を主張しています(日本国憲法では幸福追求権に該当すると思います)。



この愚行権とは(おおまかに)、

①成熟した成人であること
②他者に危害を加えないこと
③法に触れないこと

を前提条件として、(国家・他人から見て)どんな愚かな行為であったとしても、彼個人の責任のもとでそれを行う権利があり、他者(国家・他人)から制限されるべきではないという考え方です。
※たとえば、スマホゲームに課金しまくることが大好きなひとに、ただの浪費だからやめたほうがよいと制限をかける権利を、国家や他人に与えるべきではないという考え方。
こじつければ個人の自由権をいかようにでも制限しうることを危惧している背景があります。

前述した愚行権の成立要件①②③から考えると、週末のキャンプ場でたまたま鉢合わせた①「成人」を含むグループが夜中まで放つ騒音でワタクシが眠れなかった、あるいは不快だったとします。 この不眠と不快を、ミルがいうところの②「危害」と呼べるか?

ワタクシの見解としては否(キャンプするたびに鉢合わせて毎度毎回不眠不快にでもならない限りは)。

さらにこの騒音被害について合法か否かを刑事裁判として裁判所に問うた場合、「数日程度の被害では社会通念上受忍すべき限度を超えるとまではいえず、不法行為法上違法なものであるということはできない」という判決が下るように思います(ワタクシが裁判官なら)。
※ちなみにワタクシが検察官なら起訴すらしないと思います(=刑事裁判にできない。起訴権は検察がほぼ独占)。年間に開廷できる回数に制限があるからです。なお、ここではキャンプ場管理者が騒がしい宿泊者にルール徹底できなかった場合の、債務不履行を論点とした損害賠償請求(民事訴訟)の可能性には触れません。果てしないので。

つまり、グルキャン諸氏が深夜に放つ騒音程度では、ミルが愚行権を制限すべき条件としてあげた①②③どれにも該当しないと思われます。
(①について、この国では成熟の基準がないので年齢でしか判断不能です。キャンプ場のローカル規則を守れていない時点で、成熟した成人ではないとの主張ができるかもしれませんが、人権を制限するローカルルールに反しただけでは非成熟の証明とはみなされないように感じます)



さらにいうと、圧倒的多数派である「キャンプをしない人たち」から見れば、圧倒的少数派にあたる我々「キャンパー」は、仮に品行方正であってもあきらかに愚行権行使者です。苦笑
昨今の潮流から考えると、自動車によるキャンプ場への移動、焚き火による余剰CO2排出、キャンプ場がもたらす環境破壊など魔女狩り的因縁を付けられて、ワタクシ達の正当な(?)愚行権行使を抑止されやすい状態にあることを考慮すると、内輪もめしている場合でもありません。


そう、明日は我が身なのです。


以上のことから、民主主義国に住む国民のプライドにかけて、グルキャン諸氏が深夜に騒音を奏でたとしても、最終的には容認してあげる寛容さが必要だという結論にワタクシは至りました。


ただし、グルキャンで騒いだ当人さんたちが、他者から抗議をうける、あるいはネット上でいわゆる「晒し」的に批判される、周囲から軽蔑される、キャンプ場から出入り禁止を受けるなど不利益を受けたところで、ミルが主張しているとおり自己責任にともなう当然の帰結だと考えますので、周囲の雰囲気を勘案せずに騒ぐならば、その程度の覚悟は当然もって愚行権を行使いただきたいところです。
※なお、出入り禁止をうけたあとのキャンプ場(私有地)に侵入して騒いじゃうと、もはや③を満たさないため愚行権が成立しませんからご注意を。

一方で、実際問題としてグルキャンでは上機嫌な深酒人が発生しやすい状態と言えます(楽しいでしょうから、そりゃそうですよね。人間だもの)。
最も残念なことは、深酒人の多くが、聴覚・声量調整機能・時間感覚を喪失しやすいので、時間帯に応じた言動調整を相当苦手とすることでしょう。
居酒屋の深酒ご機嫌グループを見れば一目瞭然。もっとも可哀想なことに当人たちは往々にして静かなつもりらしいですが。それでも陽気な酔っぱらいは憎めないですよね。連れ帰る手間さえなければ。苦笑



ワタクシのまとめとしては、我が国の国民である限り、ワタクシがこのブログで戯言を申し上げることと同じように、グルキャン諸氏にも夜中まで騒ぐ愚行権が保証されていると思います。時間も気にせず空気も読まず、存分に騒げばよいとも思います。
・・・もちろん、不利益が発生したとしても自己責任の範疇ということで。


最後に老婆心ながら申し上げますと、秩序と静寂を最優先するキャンパーならば、複数グループの集合および飲酒可としているキャンプ場(=愚行権行使をより容易にしている)ではなく、グルキャン不可のキャンプ場の選択をおすすめします。この選択が最も無用なリスクを最小化すると思いますから御一考ください。


・・・そう考えるとほんとに迷惑をうけているのは、キャンプ場ルールを完全に履行している、極めて健全なグルキャン諸氏なのですね。誠に心中お察し致します。。。
いっそのこと、賑やかに過ごしたいグルキャン諸氏を歓迎すべく、深夜まで騒いでもよい規約を持つキャンプ場がでてくれれば、棲み分けができるようになると思うのですが、未だに見たことありませんね。。。苦笑

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